第1話で振り返ったように、私は師長として、少しずつ自信を失っていきました。
その背景には、主任との関係性や、病棟内で起きていた出来事があります。
一つひとつは小さく見えても、確実に病棟の空気を変えていった出来事でした。
今回は、その頃のことを振り返ってみたいと思います。
主任との関係性と、病棟内で起きていたこと
私が師長になったタイミングで、病棟にベテランの主任が異動してきました。
主任は、患者やご家族に寄り添う力が高く、特に認知症領域では高い専門性を持っていました。一方で、管理業務では失念が目立つ場面もあり、スタッフとの関係づくりに難しさを抱えている様子がありました。
特に関係構築が難しかったのが、インフォーマル・グループ化していた3年目スタッフとの関係でした。
私は、主任と3年目スタッフの間に立ち、双方の良さを活かしたいと考えていました。しかし結果的に、信頼関係は悪化の一途をたどり、私は対応に迷い続けることになります。
翌年、主任は異動。その後、3年目スタッフも退職していきました。
若手医師を含めたインフォーマル・グループの広がり
主任が異動してきた頃、病棟には30代の若手医師も配属されました。医師は3年目スタッフと積極的に交流し、気兼ねなく話し合える関係を築いていました。それは一見、良好なチームワークにも見えました。
けれど次第に、主任との関係で悩んでいた3年目スタッフが、医師に困りごとを相談する場面が増えていきます。
主任への不満は、詰め所内や歓送迎会などの場でも耳にするようになりました。私は注意をしましたが、すでに関係性は固定化しつつあり、修復は難しい状態でした。
最終的に、インフォーマル・グループは3年目スタッフ5名と医師1名。医師は他院へ異動し、3年目スタッフは退職、主任も異動という結果に至りました。
周囲のスタッフは、この状況をどう見ていたのか
この状況に、周囲のスタッフが気づいていなかったわけではありません。
主任の良さを理解していたチームリーダーたちは、病棟の雰囲気が悪くなっていくことに強い危機感を抱いていました。「なんとか食い止めたい」そう思い、悩んでいたのだと思います。
私はチームリーダーとも面談を重ね、それぞれの思いを聞いていました。それでも私は、どう立ち回るべきか決断できず、思い切った行動に出ることができませんでした。
管理職として、なぜ私は介入できなかったのか
振り返ると、問題が見えていなかったわけではありませんでした。
けれど私は、どちらの正しさも否定できず、中立であろうとし続けました。しかし、中立でいることは、結果的に「何もしない」という選択になっていました。
衝突を恐れ、病棟の雰囲気がさらに悪くなることを避けようとした。その慎重さが、結果的に誰も救えない結末を招いたのだと思います。
インフォーマル・グループは、放置すれば自然に消えるものではありません。私はその力を、過小評価していました。
残されたスタッフの不安と、感じ始めた限界
主任とスタッフが去ったあと、病棟には言葉にならない不安が残りました。
業務は回っていました。大きなトラブルもありませんでした。けれど、「このままでは続けられない」そんな感覚が、少しずつ自分の中に積み重なっていきました。
管理職として病棟を守ろうとするほど、自分自身がすり減っていく。この頃から私は、この病棟で管理を続けることに、限界を感じ始めていたのだと思います。
そんなタイミングで、私に異動の話が持ち上がります。
この異動が、私にとって「終わり」だったのか、「始まり」だったのか――それは、慢性期病院での日々の中で、少しずつ見えてきました。
