管理職になってから、
「自分だけが取り残されている気がする」そんな感覚を抱いたことはありませんか。
頑張っているはずなのに、どこか噛み合っていない。
これは、管理職としての私が、少しずつ苦しくなっていった過程を振り返った記録です。
このシリーズでは、看護管理職として働く中で感じた葛藤や気づきを、実体験をもとに書いています。
- 第1話:面談で未来を描けなかった頃
- 第2話:関係性が崩れ、病棟を支え続けた日々
- 第3話:慢性期病院で見えた組織の限界
- 第4話:退職を決めた本当の理由
管理職になって感じた孤独

管理職って、孤独ですよね。
看護は正解のない世界です。
「患者中心の医療」という理念を新人の頃から胸に刻み、迷いながらも30年以上、この仕事を続けてきました。
「このまま定年まで、思い入れのあるこの病院で働き続けるのだろう。」
以前は、そんなふうに思っていました。
立場が変わるまでは。
管理職になってから、誰かに相談するという行為が、以前よりずっと難しくなったと感じるようになりました。
スタッフには弱音を吐けない。
上司には現場の細かな違和感までは伝えづらい。
その結果、「自分で考えて、自分で決める」ことが、いつの間にか当たり前になっていきました。
孤独だと強く感じていたわけではありません。
ただ、
それが孤独だと気づかないまま、日々の仕事をしていたのだと思います。
異動の辞令と、失われていった自信
29年目にして、急性期から慢性期への異動を命じられました。表向きの理由は、同じ法人内での人事交流を図るため、というものでした。
ただ当時の私は、
「管理に限界を感じていることを察し、環境を変える機会を与えてくれたのではないか」
そんなふうに辞令を受け止めていました。
正直に言えば、
私自身もその頃、師長としての自信を失っていた時期でした。
「今の自分に、急性期での居場所はもうないのかもしれない」
そんな思いが、心のどこかにあったのです。
3年目スタッフの同時退職という出来事
その背景には、3年目のスタッフが一度に退職した出来事があります。
いわゆる、インフォーマル・グループ化しての退職でした。
なぜ、退職を防げなかったのか。
当時の私は、彼女たちが順調に成長していると、勝手に期待していました。
しかし実際には、それぞれが別の未来を思い描いていたのです。
- 結婚し仕事を辞める
- より専門性の高い病院へ
- 美容医療
- 看護ではなく処置やタスクをこなしたい
もし、もっと早く院内異動という選択肢を示せていたら、結果は違っていたのかもしれません。
彼女たちはとても親密で、
未来について、ひっそり話し合っていたのかもしれない。
私は、それを見抜けませんでした。
スタッフが、「どうなりたいのか」を、聞いてこなかったのです。
なぜ、未来の話ができなかったのか

では、なぜ私は、未来の話まで踏み込めなかったのか。
当時の自分の気持ちを振り返ると、面談が、「スタッフのための時間」ではなく、
「目標管理という自分の業務」になっていたのだと思います。
限られた時間の中で、
書類を整え、
形式を整え、
「必要なことを確認する」ことに意識が向いていました。
スタッフ一人ひとりの成長を大切に思っていなかったわけではありません。
ただ、その思いをきちんと形にできる余裕や視点を、失っていたのだと思います。
このとき、師長になって2年目。
目の前の業務をこなすことが、「ちゃんとやれている証」だと信じていました。
だから、これでいいのかと問い直すことさえ、思い浮かばなかったのだと思います。
この話を、こんな方に届けたい
もしあなたが、看護管理職として働きながら、こんな気持ちを抱えているなら——
- 面談がただの業務になっている気がする
- スタッフの「本当の気持ち」を聞けていないと感じる
- 自分の判断に、以前ほど自信が持てなくなっている
当時の私も、まったく同じでした。だからこそ、振り返って伝えたい3つのことがあります。
① 面談は「スタッフのための時間」と決める
書類は後で整えられます。でも、面談で未来を描く時間は、その瞬間しかつかめません。目標管理の記入欄を埋めることより、「この人はどうなりたいのか」を聞くことに、時間を使っていいのだと思います。
② 「どうなりたいか」を必ず聞く
目の前の課題だけでなく、3年後・5年後の姿を問いかけるだけで、対話の深さが変わります。3年目スタッフの退職を振り返ったとき、一番後悔したのはここでした。
③ 自分の違和感を、誰かに話す
管理職の孤独は、「相談していい相手を持つ」ことで少し軽くなります。上司でもいい、同職の仲間でもいい。弱音を吐ける場所を1つ持つことは、管理職が長く続けるための土台だと思います。
面談の具体的なコツは、別の記事で詳しくまとめています。

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